2025/05/02
この物語は、香りと笑いで世界をゆらす広島発のフレグランスSFコメディです。
「広島」と「空気清浄機」という二つのテーマを軸に、瀬戸内の自然や文化、そして人々の笑顔が交わる未来のビジョンを描きました。広島という土地が持つ美しい海と山の景観、活気あるスポーツ文化、そして豊かな食の伝統を、空気清浄技術という現代的なテクノロジーと融合させることで、新しい物語の可能性を模索しています。
第1章 光るカープ、空を泳ぐ
夕暮れの平和大通りを、最後の路面電車が鈴を鳴らして走り抜けていった。折鶴ヒカルは肩にかけたタヌキ型ドローンのモモを撫でながら、空を見上げた。
「ほらよ、モモ。あれって何か変じゃないか?」
初夏の宵闇に浮かび上がる、小さな赤い光の群れ。それは風に乗って、まるで水中を泳ぐ稚魚のように、ゆらゆらと揺れていた。
「あーれー? ほんまじゃの!」モモが方言まじりの声で応える。「データベースに該当なしじゃ。分析するで!」
タヌキの目からスキャナー光が放たれる。その瞬間、街中に設置された巨大な塔状の装置——バイオリフレクターと呼ばれる都市型空気清浄システム——が一斉に青いランプから赤に変わり、警告音を発し始めた。
「警告:システム過負荷。異常粒子検知。浄化サイクル停止します」
アナウンスが流れる中、街の空気が一変した。潮の香りに、磯の匂い、そして…
「牡蠣だしの匂いじゃ!」モモが鼻を鳴らした。「誰かがフィルターに『広島名物アロマカプセル』を逆流させたんじゃろう!」
人々が次々と足を止め、空を見上げる。赤い光の粒子は徐々に増え、まるでカープ球場のジェット風船のように町の上空を埋め尽くしていた。
ヒカルのスマートグラスが鳴り、表示されたのは「広島市役所スマート瀬戸内室」からの緊急アルバイト依頼だった。
「折鶴くん、バイオリフレクターのメンテナンス、急ぎで頼むわ。原因調査も」
「了解です、風早さん」
ヒカルは返事をすると、電動キックボードを蹴り出した。背中のタヌキ型ドローンが、「ほいじゃ、行くで!」と叫ぶ。
***
汐見ナギサは宮島水族館の研究室で、顕微鏡をのぞき込んでいた。水槽の中で採取された奇妙な赤い鱗のような物質が、微かに脈動している。
「これは…生命反応?」
彼女の周りには、瀬戸内海の生態系マップや潮流データ、そして原子力潜水艦「せとしお」の調査報告書が散らばっていた。「せとしお」は先週、宮島沖の海底で奇妙な光の帯を観測していたのだ。
「広島市内でも同じものが発生しているのね…」
彼女はモニターに映し出された光る粒子のデータを見つめながら、「空飛ぶ稚魚」という奇妙な仮説をメモに記した。
***
風早アスカは市役所の窓から、赤く染まる夜空を見上げていた。彼女の頭の中では観光戦略が急速に組み立てられていく。
「空飛ぶ折り鶴じゃなくて、空飛ぶコイか…これは使える」
彼女はタブレットを操作し、バイオリフレクターネットワークの稼働率を最大限に引き上げた。「観光PRの絶好のチャンスよ。もっと派手に、もっと目立つように…」
だが彼女は知らなかった。そのひと操作が、すでに不安定になっていた空中の粒子たちに、どんな変化をもたらすかを。
第2章 潮騒センサーの謎
夜が更けた広島市。バイオリフレクターの中央制御塔へと向かうヒカルの前に、メインストリートが静かに広がっていた。普段なら心地よい瀬戸内の風と山の新緑の香りが混ざり合っているはずの通りが、今は牡蠣だしのような磯の匂いで満ちている。
「異常だらけじゃ」モモが肩の上で鼻を鳴らした。「バイオリフレクターの全21基、全部シャットダウンしとるわ」
ヒカルは一番大きな中央塔に到着すると、メンテナンスハッチを開け、内部へと潜り込んだ。巨大なフィルターシステムの手前で、彼は立ち止まった。
「何これ…」
フィルターの表面には、小さな鱗のような結晶が無数に付着している。それらは微かに脈動し、時折小さな光を放っていた。ヒカルが手を伸ばすと、結晶のひとつが跳ねるように動いた。
「生きている…?」
モモのスキャナーが起動する。「分析するで… おもろいのう! これ、瀬戸内海の特殊なミネラルと、大気中の何かが結合してできた結晶生命体みたいじゃ。しかも、潮の満ち引きに反応しとる!」
ヒカルはサンプルをいくつか採取し、スマートグラスでナギサに連絡した。「汐見さん、これ見てください」
画面に映し出されたのは、宮島水族館の明かりの落ちた研究室。ナギサは目を輝かせた。
「これは! 私も同じものを研究してるわ。宮島の海底で見つかったのよ。これ、潮の満ち引きで発生した瀬戸内特殊プランクトンが、何らかの刺激で進化して”浮遊鯉”になったんじゃないかと思うの」
「浮遊鯉?」
「ええ。あなたが見ているのは幼生段階。私の仮説では、これが集まると、鯉のような形になって泳ぎだすの」
ヒカルとモモは顔を見合わせた。
「だけど、なぜバイオリフレクターに引き寄せられてるんだ?」
「おそらく、バイオリフレクターが使っている振動技術よ。瀬戸内の潮騒に似た周波数を発しているみたい」
ヒカルは思案した。「じゃあ、これらは有害なの?」
「今のところ無害みたい。でも、バイオリフレクターがシャットダウンしたのは、これらを異物と判断して過剰反応したせいじゃないかしら」
その時、ヒカルのスマートグラスに緊急速報が流れた。
「緊急ニュース:広島市上空に巨大な『赤い雲』が出現。形状が鯉に似ていることから『ギガ・カープ』と命名。当局は『安全性を確認中』と発表…」
「ギガ・カープ…?」
ヒカルが驚く間もなく、空からは低い振動音が響き始めた。その振動に反応するように、街中の電子機器が不思議な動きを見せ始める。路面電車のベルが一斉に「ピロロロロ~♪」とレトロゲームのような音に変調したのだ。
モモが慌てて叫ぶ。「これは大変じゃ! 風早アスカが清浄ネットワークを過剰稼働させたせいで、粒子が凝集して巨大になったんじゃ!」
ヒカルはフィルターを緊急修復しながら、考えを巡らせた。この現象を止めるには…潮騒?
「汐見さん、宮島に集まってください。僕にアイデアがあります」
第3章 宮島ハイトーン作戦
宮島への高速船の中、ヒカルとナギサは急ごしらえの作戦会議を開いていた。モモはドローン仲間を何機か集め、それぞれが小型の音響装置を運んでいる。
「理論的には可能だと思う」ナギサは海面を見つめながら言った。「私の分析では、ギガ・カープは瀬戸内の”潮騒”と人間の”笑い声”を栄養源にしているの。だから、その二つをミックスした特殊な音波を大鳥居から発射できれば…」
「ギガ・カープを誘導して、人のいない海上へ誘い出せる可能性がある」とヒカルが続けた。「宮島の大鳥居は完璧な指向性スピーカーになる。潮が満ちると鳥居は水に浮かび、その形状が音波を理想的に増幅するはず」
高速船が宮島に近づくと、夜空に浮かぶ巨大な赤い鯉の姿が見えた。ギガ・カープは厳島神社の上空をゆっくりと周回している。
「風早さんも来るって言ってたけど」ヒカルが周りを見回す。
「遅れるって。市内の混乱対応で忙しいんでしょ」ナギサが答えた。
二人は急いで厳島神社へ向かった。潮が満ちつつある中、大鳥居は水面から立ち上がり、月光に照らされて神秘的な姿を見せていた。
「機材をセットするわよ」ナギサが指示を出す。「モモ、ドローン部隊を鳥居の周りに配置して」
「了解じゃ!」
ドローンたちは鳥居の周りに円を描くように配置され、それぞれの音響装置から細い光線が鳥居に向けて放たれた。
「ここは昔から音の通りが特別なんだ」ヒカルが説明する。「潮の満ち引きと地形が作り出す自然の音響効果。それを利用するんだ」
彼らがプログラムを最終調整していると、小型ボートが接近してきた。風早アスカが飛び降りる。
「ごめんなさい、遅れて!」彼女は息を切らしていた。「市内は大混乱よ。観光客が殺到してSNSは『#ギガカープ来襲』でトレンド入り。私の予想を超えちゃった」
「風早さん、あなたが清浄ネットワークを過剰稼働させたから、こうなったんだよ」ヒカルが非難めいた声で言う。
「ごめんなさい…でも今は謝ってる場合じゃないわ」アスカは手にしたタブレットを見せた。「ギガ・カープの粒子密度が上昇してる。このままじゃ、もっと大きくなって、電子機器への干渉も強まるわ」
「では、急ごう」ナギサが言った。「風早さん、あなたの力も必要よ。観光PRのプロとして、最高の『笑い声』を集めてもらえる?」
アスカは目を輝かせた。「任せて!」
***
準備が整った。大鳥居は満ちた潮の中に立ち、その周りにはドローン部隊が音響装置を構えている。遠くから観光客や地元の人々も集まり始めていた。
「ハイトーン波、準備完了です」ヒカルが報告する。
「潮騒波形、キャプチャ完了」ナギサも頷いた。
「そして、これが最後の仕上げ」アスカがタブレットを掲げる。「SNSから集めた、カープファンの応援歌と笑い声!」
三人は互いに目を見合わせ、頷いた。
「モモ、カウントダウン」
「了解じゃ! 10、9、8…」
人々も一緒にカウントダウンを始め、笑い声が広がる。
「…3、2、1、ほいじゃ、発射するで!」
鳥居から、青と赤の渦巻く光線が空に向かって放たれた。潮騒の音、カープ応援歌、そして集まった人々の笑い声が混ざり合った”ハイトーン波”が、空高くギガ・カープめがけて螺旋を描いて上昇していく。
第4章 空に解ける赤いウロコ
ハイトーン波がギガ・カープに到達した瞬間、巨大な赤い鯉の形をした雲が震え始めた。観衆から歓声が上がる。
「反応している!」ナギサが興奮した声で叫んだ。
ギガ・カープはゆっくりと形を変え始め、その巨体がまるで踊るように波打つ。そして突然、赤い鯉の姿は崩れ、無数の小さな赤い鱗となって夜空に散開した。
鱗が宮島の上空を覆い、瞬く星のように輝いている。観衆からは「わぁ…」という感嘆の声があがった。
「成功した…」ヒカルが呟く。
しかし突然、それらの鱗が一斉に降下し始めた。
「あ、これは予想外…」ナギサが言う。「私の計算では、粒子は消滅するはずだったのに」
鱗のような粒子は、優雅に舞い降りながら、触れたすべての空気を変えていった。瀬戸内の潮風と、どこか懐かしい甘い香り—桜餅のような香りが広がり始めた。
宮島とその周辺は、淡いピンク色の霧に包まれていく。人々はその香りに包まれ、自然と深呼吸をして、リラックスした表情を浮かべ始めた。
「これは…」アスカが驚きの表情で言う。「完璧な観光体験じゃない! SNSは『#広島ゆめかいこう』タグでもうトレンド入りしてる!」
モモが空中でくるくると回りながら叫ぶ。「分析するで! これ、有害物質はゼロじゃ。むしろ、リラックス効果のあるフェロモンみたいなもんが含まれとる。完全無害じゃ!」
ヒカルとナギサは顔を見合わせて笑った。
「まるで…広島が私たちに”ありがとう”って言ってるみたい」ナギサが呟く。
夜が更けるにつれ、ピンクの霧は徐々に薄くなり、赤い鱗も消えていった。朝までには、すべてが消え、バイオリフレクターも正常に復帰していた。
***
数日後、広島市役所のスマート瀬戸内室では、緊急会議が開かれていた。
「オイスターフレグランス暴走事件」と名付けられたこの現象の報告会だ。風早アスカが立ち上がり、報告を始めた。
「事件の教訓として、私たちはバイオリフレクターの新たな活用法を見出しました。清浄機能だけでなく、香りをデザインする都市インフラとしての可能性です」
彼女はタブレットでスライドを進め、新しい公式キャラクター「エアリアル・カープ」と、バイオリフレクター用の香りカプセル「瀬戸内アロマコレクション(公式ライセンス取得)」の発表を行った。
会議室の外では、ヒカルとナギサ、そしてモモが待っていた。
「これからどうするの?」ナギサがヒカルに尋ねる。
「僕たちには、他にもやるべきことがあるはずだよ」ヒカルは答えた。「あの現象、宮島だけの話じゃないと思うんだ。瀬戸内のどこかで、また似たようなことが起きるかもしれない」
ナギサは目を輝かせた。「”瀬戸内エアリアル生態調査チーム”の結成、ということ?」
「そうだね」ヒカルは笑顔で頷いた。
「ほいじゃ、次は音戸の潮を吸うで!」モモが元気よく叫んだ。
アスカが会議室から出てきて、彼らに声をかけた。「あなたたち、正式に調査チームとして認められたわよ。市からの支援もあるわ」
彼女はヒカルとナギサの肩を抱き、窓の外を指さした。広島の街並みは、いつもの穏やかな瀬戸内の空気に包まれていた。だが彼らには見えていた—空気の中に隠された、まだ知られざる物語が、瀬戸内のどこかで息づいていることを。
**終わり**
あとがき:
続編では、福山ばら祭りのバラ花粉ホログラム事故、尾道レモネード霧の暴走など、各地の香りトラブルを解決していく”エアリアル生態調査チーム”の活躍が描かれるかもしれません。次なる異変は、しまなみ海道の「自転車型サイクロン清浄機」!?*